那須観光のシンボル、
ロープウェイ建設
那須連山の主峰で、標高1915メートルの那須岳(茶臼岳)は、那須地方のランドマーク的存在であり、栃木県唯一の活火山だ。その裾野は那須から白河一帯を覆って「那須野が原」を成し、東野鉄道営業エリアの人びとの生活を支える大地でもある。また、那須岳(茶臼岳)は日光国立公園の一部でもあり、夏の緑や秋の紅葉など見所は多く、古くから多くの登山者が現れる山であった。
昭和31(1956)年、ここにロープウェイを作る構想を抱いたのは矢野政男社長だった。おりしもこの年の5月、野本の登山隊が世界初のヒマラヤ・マナスル登頂に成功、記録映画が大ヒットし、かつてない規模の登山ブームが訪れていた。那須岳は風が強いと実現を危ぶむ声もあったが、矢野社長の熱意は衰えず、昭和35(1960)年に認可を得て工事が始まった。
県道17号線が通じている大丸温泉は黒磯駅からの東野鉄道バスの終点だが、その先の7号目に山麓駅を設け、9号目の山頂駅まで延長805メートル、標高差289メートルを平均22度の傾斜で登る構想だった。工事は強風に行く手を阻まれながら鉄筋コンクリート製の地上駅と山麓駅の建設から始まり、1年7ヶ月後の昭和37(1962)年9月、「かっこう号」「りんどう号」と名付けられた、窓が大きな36人乗りのゴンドラ2両がロープに吊り下げられた。まず補助エンジンによる試運転が行われ、次いで、山頂駅に取り付けられた、ロープを駆動する135馬力のモーターを回して試運転が実施された。ロープウェイへの期待は地元観光業界でも高く、温泉旅館で作る「奥那須会」では観光宣伝キャラバン隊を組織し、千葉・茨城方面で宣伝を行った。また盛り場の街頭放送や、当時は宣伝メディアとして有力だった映画館でのスライド広告も積極的に展開した。
10月19日の開通式とともに営業を開始した那須ロープウェイは6分間隔、9号目までを15〜20分で結んだ。山頂駅から那須岳(茶臼岳)山頂までは標高差200メートルあまり、40〜50分ほどで登れるようになり、10月の輸送人員は12日間の営業で1万3千人、11月は2万人と順調な滑り出しを見せた。ロープウェイは那須観光のシンボルとなると同時に那須岳(茶臼岳)は人びとが軽装で十分楽しめる山として開かれた。